コレクション2:80年代の時代精神(ツァイトガイスト)から

Sitting Hare with Hand, 1994, glazed terracotta, 42 x 27 x 21 cm © Leiko Ikemura and VG Bild-Kunst Bonn, 2021. / Photo: Lothar Schnepf.

欧米における1980年代は、絵画に再び注目が集まった時代として記憶されています。当時、画家たちが直面した問いを要約すれば、「表現」「解釈」「制作」の再考であったといえるでしょう。今回のコレクション展は80年代絵画を起点としつつ、これら3つの問いを、より広い視野からとらえなおします。

 

1980年代に入り、絵画は復権した。いきいきとした線と色、それらが織りなす意味深長な(そして、しばしば個人的な)物語……と、そんな「読ませる」芸術が俟たれた理由は、ある種の疲れによる。つまり戦後、1970年代にまでいたる、理屈っぽい「考えさせる」芸術への反動として。

絵画はそもそも嘘をつく。それ自体としては無意味な画材を、意味ある画像へと変換するための詐術=イリュージョンこそが、絵画という仕事をながらく規定してきた。モダニズムとは、その嘘から自由になるための道行きであったと言ってよい。とりわけ戦後、アメリカにおいてその傾向は顕著になっていくだろう。ヨーロッパの前衛たちによる種々の実験をひきうけ、「読む」絵画から「在る」絵画への転換をはかった抽象表現主義。その流れを批判的に汲みつつ、さらなる先鋭化をこころみた結果、「絵画ならざるもの」へと逸脱してしまったミニマル・アート。ついには素材に縛られない純粋な形、つまり「アイデア」それ自体を作品として提示しようとしたコンセプチュアル・アート。潔癖さにこだわるそのストイックな態度は、1970年代になる頃、行き先の見えない閉塞感を醸しだすことになる。透明で理路整然とした芸術に対する反発、不透明で錯綜した絵画が登場する背景には、こうした状況があった。

作者個人の主観に重きを置きなおす1980年代の絵画群は、総称して「ニュー・ペインティング」と呼ばれる。「新しさ」を標榜しながらも、過去の蓄積を引き受け、前に進もうとする意識の希薄なその現象は、結局のところ一時の流行にとどまり、いままでその意義について顧みられることが少なかった。だが、そこで提示された諸問題は、必ずしも一過的なものではなく、後々の世代にまで残響しうる普遍的なものだったと言える。その具体像を探るため、ここでは1982年のある展覧会、旧西ドイツはベルリン、マルティン・グロピウス・バウを会場とした「ツァイトガイスト(時代精神)」に目を向けよう。

本展企画者の一人、クリストス・M・ヨアヒミデスは、当時の芸術傾向、つまり自らが擁護する若い芸術家たちの「時代精神」について、こう語る。「その作品群を見ればわかるが、彼らはアカデミックに硬直したミニマリズムと、きっぱり対立している*1」と。そのさい、反ミニマリズム的要素として挙げられるのは「夢想 [das Visionäre]」や「神話 [der Mythos]」や「苦悩 [das Leiden]」や「気品 [die Anmut]」、あるいはサイ・トゥオンブリーやヨーゼフ・ボイスら先行世代の実践においてすでに看取されるという「希望 [die Wünsche]」や「予感 [die Ahnungen]」や「憧憬 [die Sehnsüchte]」であった。いずれの要素も、客観性に欠き、論理による把握を超えている。ニュー・ペインティングが、とりわけドイツにおいて「新表現主義」と呼ばれた理由の一つも、ここにある。画家の内なるヴィジョンを外へと押し出すこと、写実性(似ている/似ていない)とは別の次元をめざす態度一般を指して、私たちは表現主義と呼ぶからだ*2 。1980年代、まず見直されたのは「表現すること」であったと言ってよい。もちろん受け手の側の態 度、「解釈すること」にも再び光が当たる。現れるがままに在るのではない、そんな芸術において重視されるのは、形それ自体でなく、その向こう側にある意味内容のほうであろう。

それにしてもなぜ、「絵画」の復権なのか。伝統的なジャンルへの回帰が生じた理由として、ヨアヒミデスが強調するのは「芸術作品との直接的、感覚的なかかわり」*3 であった。つまり、1980年代の絵画は、「作ること」で生の感情に根ざさんとしたのだ、と。1970年代の芸術は、着想のクリアな伝達に専心する一方、その手段には必ずしも頓着せず、身体や映像など、次々に新しい媒体へと拡散していく。次第に自らの手を動かすことさえ必要条件としなくなっていったその「クール」な芸術は、非人称的でよそよそしく、結果として生きることとの乖離をもたらすだろう。こうした状況に抗うことこそが絵画復権の動機であって、嘘のない純粋な絵画を云々、といったモダニズム的な意識は、もはやそこには見られない。

表現すること、解釈すること、作ること。絵画が復権した当時、それらはもはや、自明の営みとは言えなかった。最小限(ミニマル)で概念的(コンセプチュアル)な芸術の在り方、つまり表現せず、解釈させず、作らない芸術という在り方を知ったうえでなお、あらためて表現の、解釈の、また制作の可能性を問い直すこと。その仕事は、ニュー・ペインティングという現象を超えて、いまなお継続中であるはずだ。今回のコレクション展は、80年代の時代精神から出発する。

福元崇志(国立国際美術館 研究員)

 

出展作家(姓アルファベット順):秋吉風人、ゲオルク・バゼリッツ、ヨーゼフ・ボイス、ヴァルダ・カイヴァーノ、アレクサンダー・コールダー、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー、エンツォ・クッキ、ジャン・デュビュッフェ、遠藤利克、榎倉康二、福岡道雄、フェリックス・ゴンザレス=トレス、堀内正和、イケムラレイコ、今村源、ヨルク・インメンドルフ、稲垣元則、ドナルド・ジャド、ヴァシリー・カンディンスキー、河原温、アンゼルム・キーファー、イミ・クネーベル、李禹煥、ジャック・レイルナー、ロイ・リキテンスタイン、ブライス・マーデン、松井智惠、ブルース・マクレーン、ジョアン・ミロ、三島喜美代、ヘンリー・ムア、村上友晴、村岡三郎、落合多武、ジャン=ピエール・レイノー、スーザン・ローゼンバーグ、坂上チユキ、坂本夏子、ジョージ・シーガル、篠原有司男、塩見允枝子(千枝子)、フランク・ステラ、須田悦弘、杉本博司、高松次郎、髙柳恵里、戸谷成雄、サイ・トゥオンブリー、エルヴィン・ヴルム、横尾忠則

出典:国際美術館展覧会パンフレット

 

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